「大腸がんですよ」いとも簡単に宣告されてガックリ来ました、今でもその医者の顔を思い出すと不愉快になります。
それから1ケ月の入院手術終わってみれば肛門はなくなり人工肛門になっていました。
でも長年苦しんできた痔はきれいに無くなっていました
人工肛門は嫌ですが考えてみればいずれ高年齢になってオシメの厄介になることを考えれば人工肛門装具のほうがオシメよりずっとましなことも事実です
それに私独特の「人工肛門の水洗法」を利用すれば人工肛門であることを忘れて仕事も普通にこなせますし外出やお付き合いも全く常人と同じに毎日が過ごせます
あとの人生を明るく有意義にと考えていきたいと思います
先刻ご存じとは思いますが
人工肛門とは左下腹部に造成した穴に、直腸下端の癌と肛門を切り取った腸管の下端を縫合し、そこから便を出すようにしたものです。
問題は肛門も肛門括約筋もなくなり直腸下端を締めることが出来ないため、便が直腸に送られてくればすぐそのまま排泄される、俗に云う垂れ流しの状態になることです。
人によって大便は排泄される時間帯や回数は違いますが、通常は食後四十八時間以内には食物は便となって排泄されるものだそうです。
胃腸は「考える臓器」と云われているだけあって、非常にストレスや神経的な影響を受けやすい臓器らしく、習慣になっている排便も時によって不定期になることもあるので排便の時間を予測するのは困難です。
そのため人工肛門から排出される大便を一時溜めておける「人工肛門用パウチ(袋)」を貼り付け一旦排便を溜めその後処置出来るように考えられたのが人口肛門です。
人工肛門から出る大便を一時溜めておく「人工肛門用パウチ」(以後は単に「パウチ」)
はビニール製の平たい下部が開放された袋でクリップで閉じることが出来ます。
上部裏側には樹脂製フランジの付いた大きな丸穴があり後述します「フランジ」に接合出来るように出来ています。
この「パウチ」を人口肛門に取り付けるには「フランジ」を人口肛門に貼り付けなければなりません。
「フランジ」と呼ばれるものは接着剤の付いた円盤で真中に人口肛門に合わせて切り抜く丸穴から人口肛門が出るように下腹部に貼り付けて使います。
この接着剤は良く出来た薬品で大抵の人の肌に誠に良く馴染み、かぶれなどが起きる事はありませんし 一週間 は密着しています。
この「フランジ」には「パウチ」を嵌めこんで固定するための樹脂製で溝にテフロン「O Ringa」があり「パウチ」を嵌め合わせると完全に密封出来て匂い等が漏れる事は絶対に有りません。
人工肛門から排泄された大便は人工肛門用「パウチ」に一時的には溜めてられますが、いずれはトイレに流さなければなりません。
兎に角、この作業に慣れることから人工肛門の生活は始まります。
「パウチ」に溜まった大便の排出方法は「パウチ」下端を閉じているクリップを外し「パウチ」を開放し大便を排出するのですが「パウチ」下端外側に大便が付着しないように「パウチ」下端をまくり返してから溜まっている便をトイレに落下排出します。
これで一応大便の大部分は排出出来るのですが「パウチ」の内面には便がベッタリと貼りついたままですし、下手をすると「パウチ」下端外側にも大便が付着してしまうことも有り、紙で拭ったぐらいで完全に清潔になるとは云い切れないのが悩みです。
今まで人工肛門装具の用法(1)(2)で装具のご説明をしましたがかなり陰鬱な印象を持たれたことと思います。
その通り人工肛門装具はかなり厄介な代物で「パウチ」にしても取り換えたときの廃「パウチ」の始末も大変ですトイレに流すことも出来ず、厳重にレジ袋に密閉しないとゴミのも出せません。
しかしプロローグでも一寸触れました無料で出来る「人工肛門水洗法」で装具もご自身の人工肛門も簡単に完全水洗することが出来ます
是非一度「人工肛門」をご一読頂きたいと思います
入院した時は貧血が酷くかなり衰弱していました
すぐに点滴が始まり約10日間位点滴だけで検査検査の毎日でした
手術は全身麻酔ですからなにも解らないのですが途中で脚がツッテしまって麻酔しているのに痛んだ記憶があり手術終了後も半月ほど痛みが残りました。
翌日からは痛いより苦しい日々が数日続き気がついたら排尿もカテーテルが尿道に刺されていました。
身体を動かすことができるようになったらすぐ人工肛門装具の使い方を仕込まれましたがそれまではどうやって処理されていたのか記憶にありません。
身体中にチューブが入っていて大変に不快でした、特になんのためか知りませんが鼻穴から胃に入っているチューブは夜中に引っ張って抜いてしまってまた自分で復元したことすらありました。
遠方から見舞いに来て下さった誠に有難かったのですが、あと矢張りかなり疲れるものです。
全部チューブ類が取れるのに約半月で偶々御正月に」なっていましました
インターンのような若い医者が担当医が、「明日から新しい抗がん剤を試験的にのんで見て貰います、もし副作用が出ても病院にいるのですから心配要りません」と言ってきたのが正月」の四日ごろでした
抗癌剤は嫌だから退院しますといって半分喧嘩で七日に漸く退院することが出来ました。
退院してから、私を病院に紹介入院させて呉れた、元外科部長の診療所に行きましたら
先生「当分の間は抗がん剤を飲みなさい」
私 「何故ですか」
先生「以前貴方と同じ病の人に抗がん剤を七年飲ませて、もういいだろうと抗がん剤を止めたらすぐに肝臓がんになったんだから飲んだ方が良いんです」
私 「????・・・・????七年飲んでも無駄な証明みたいなハナシですネ・・・???」
それでその先生ともお別れして「抗がん剤」なしでの「人工肛門」生活が始まりました。
手術後半年間経たないと「洗腸排便」と「障害者手帳の申請」は出来ないと教えられて居ました。
「洗腸排便」さえ出来るようになれば「人工肛門」生活も「バラ色」になるだろうと期待して六ケ月待って「洗腸排便」を習いに病院へ行きました。
教えてくれたのは婦長さんで僅かな自分の休憩時間を割いてのボランテアでした。
その後自宅でトイレに籠って毎朝二時間くらいの奮闘を一月ばかり続けましたが、話に聞いたような結果はついに得られませんでした。
あとで考えて見ますと、私の場合毎日、朝食後すぐに便意が起き一度に排便してしまう習慣でしたので手術後も朝食後の排便で直腸内には便が殆ど残って
いないため「洗腸排便」には向かなかったようです。
朝一回で排便出来るのは良いのですが、「人工肛門水洗法」開発までは、他人には見えないにせよ、汚れたパウチをつけたままで肩身の狭い想いをしていなければなりませんでした。
しかし「人工肛門水洗法」を始めてからは大手を振って生活出来るようになり「洗腸排便」はあきらめてしまいました。
ご存じでしょうが洗腸排便法は人工肛門から腸内にぬるま湯を入れて、浣腸のように強制的に便を排泄させる方法です。
洗腸排便法の利点は1日ないし2日に1回洗腸排便法を行えば、たいていの人はもう大便が無いのですから当然便通が無いので人工肛門(ストマー)にガーゼでも当てておけば普通の生活が出来るといはれている方法です。
腸内に便が無いのでガス(おなら)の量も減り、いつ出るか分からない便やガスにおびえる悩みを軽減できます。
但し洗腸するためには準備から後片づけまで約1時間くらいは必要なことと、人により洗腸排便法に不適応の場合があって、
誰でも洗腸排便法が出来るわけではありまあせん。
大腸を全摘出した回腸ストーマや、上行、横行結腸ストーマなどで大腸の短い方は洗腸排便法は不適応です。
また高齢で体力が弱ってくると長時間座っていられなくなり洗腸排便法ができなくなってきます。
「人工肛門水洗法」のおかげで全く常人と同じように生活できるようになり 5年 が経過しました。
以前に五年間再発がなければ大丈夫と聞いていましたので、漸く、がん から解放され青天白日の身になることが出来ました。
三四ケ月に一度位の血液検査は受けていましたが、腫瘍マーカーもせいぜい2、か3、で誠に癌に関しては平和な日々でした。
ところが、更に三年後の秋、ストマー脇に極小さなニキビ(マッチの頭の半分位)ようなものが出来ましたが、腫瘍マーカー
もOKなのであまり気にしませんでした。
パウチに隠れる処なので入浴のときしか見れませんでしたが半月後にはチョット大きくなったかな?程度でしたが秋が深まるにつれ
次第に大きくなってくるような気がして来ました。
多分脂肪の固まりだろう、とかせいぜい静脈溜だろう、とか考えていましたが、「がん」かも知れないとだけは決して思いつきません
でした。(「がん」かも知れないと無意識には考えていたのでしょうが、意識には登ってこなかったのは誠に奇妙なことです)
ただ腫れものの成長は異常な速さで十一月頃には鉛筆の先位になってしまいました。
さすがに気味悪いので掛かり付けの内科の先生に「腹部に静脈溜が出ることはあり得ますか」と聞きましたら「それは無いですね」
とのことでした。
数日後その先生から電話があり「ついでがあり近所まで行きますから、先日の静脈溜とやらを見せて下さい」とのことで、懸命に
逃げていた診察を受ける羽目に立ち至ってしまいました。
先生は腫れもの見てすぐに県立病院外科の予約を取ってくれましたが、その仕事の速さが腫瘍の性質を示していました。
病院の外科の先生は「どうも悪いもののようだから組織を少し取って検査しましょう」といって麻酔もしないでメスで腫瘍の先端を刎ねて
検査に回して呉れました。
以前は「がん」は本人には告知しなかったらしいですが、今は本人に当たり前のように話す様子です。
先生によれば以前は 大腸がん は五年再発しなければとされていたが、最近では八年位での再発が多いのだそうです。
検査の結果はやはり腺癌だそうで大腸癌の95%をしめる腺癌だそうで、多分前回の取り残しが発育したのだろうとのことで、
早期の手術が一番いいと思うが、抗癌剤で頑張る方法もあるとのことでした。
手術は前回で懲りていますので抗癌剤治療を依頼しがんとの付き合いがまた始ってしまいました。
最初の抗癌剤は「フルオロウラシル」とか云う錠剤でしたが、聞くところによれば古典的抗癌剤だそうです。
恐る恐る飲み始めましたが全くと云うぐらい副作用はありませんでした。
素人流の解釈では抗癌剤は成長の早い細胞を見つけて攻撃するため、毛髪など生育の良い細胞にも作用してしまって毛が薄くなったりするらしい
のですが、私のケースでは大丈夫でした。
抗癌剤を飲み始めてから腫瘍はあまり発育しないように思ったのですが、半月ほどしますと、確実に生育しているのが判るようになってきました。
先生は「どうも効果がないようですね、なかなか効かないものなんですよ」とのことでだんだん強い薬を処方されるようになりました。
抗癌剤は処方箋をもらって調剤薬局で購入するのですが、最初の薬は兎も角、葉酸代謝拮抗薬とか云う薬あたりからすごく高価なので驚きました。
勿論国保ですが定価で買うとなったら、とても並みの人には手の出ない価格でした。
年が明けたあたりから高価な抗癌剤になったのですが、同時に副作用も段々強くなると同時に腫瘍(がん?)の成長速度も速く成ってきました。
二週間おきに病院にいくのですが、そのたびに自分で驚く程大きくなっていて、外見も次第に怖ろしい様相を呈するようになりました。
年が改まった頃には腫瘍は2X3センチ厚み1センチくらいで原爆きのこの様に首は直径1.5センチ位の爆弾キノコ状でなんとも言いようのいない薄黒色の無気味な
形相になって来ました。
人工肛門=ストマーのほんの隣にできたために人工肛門用「フランジ穴径40」の穴を目一杯大きく切って何とか腫瘍をくぐらせて人工肛門用「パウチ」を被せていたのですが、この穴の大きさでは間に合わなくなって「フランジ」「パウチ」共に穴径50に変更しました。
先生の話から推察しますと、がん細胞は増殖が速すぎて神経細胞を作るのが間に合わないためだそうですが何の痛みも痒みもありませんでした。
同時に血管も充分に発達する時間がないため増殖した細胞の一部が壊死するので、無気味な薄黒色になるらしいのです。
それに 人工肛門用「パウチ」を被せてあり人工肛門水洗法を行っていましたので、はっきりとは言えませんが何か奇妙な匂いがあった様におもいます。
二月になって葉酸代謝拮抗薬系の極めて高価な抗癌剤を使うことになりました。
この新しい葉酸代謝拮抗薬系の極めて高価な抗癌剤は副作用もかなりなもので下腹部一帯の皮膚が焼けるような痛みを伴なって真赤に成りました。
どうもがん細胞の増殖は腫瘍全体で進行する様で腫瘍が大きくなればなるほど進行が早いようです。
体積=1立方糎の腫瘍が倍に細胞分裂して体積=2立方センチの腫瘍になると仮定すれば、体積=2立方センチになった腫瘍が倍に細胞分裂すれば体積=4立方糎
になり次は体積=8立方センチ・・・・・に同じ時間で元になる細胞数が倍になっているのですから増殖も倍増するのが道理なんだそうです。
それは兎も角、三月半ばには腫瘍だか がん だか知りませんが、遂に頭が「5X7センチ厚み2センチのハンバーグ程の原爆キノコ」になってしまい
人工肛門用「フランジ」・人工肛門用「パウチ」共にアルケアー社で最大の「D70=穴径7センチ」に変更しても、やっと被せられる有様でした。
ことここに至っては「抗癌剤」での治療は諦めて手術する他方法が無くなってしまいました。
CTやMRIでの検査では体内に根があるようでそこまで抉り取る手術になるそうで、人工肛門も一旦今の人工肛門部を切除し直腸を腹部に再度縫い付けて
人工肛門を新しく造るんだそうです。
切開した傷口に人工肛門用「パウチ」がうまく貼り付けられるのか、便や便臭の漏れはないのか、聞きましたら、整形手術などで行う埋没縫合とかで
全然傷口は残らないのだそうです。
遂に抗癌剤も無駄な抵抗になってしまい、四月半ば過ぎに手術と決定してしまいました。
いざ入院してみますと一日中ゴロゴロしているだけで何の用もないのですから、越し方行く末をどうしても考えます。
頭に浮かんでくる「あの人この人」「友人たち」は病気もしないで、元気に過ごしているのは何故だろう・・・・・
何で私だけこんな病に罹るんだろう・・・・・・云々・・・・ なんて甘ったれた考えがどうしても出てきます。
でもよくよく考えで見ますと、
私はまだ死んだわけではありません、勿論いずれは人間誰しも死ぬのですが、その日だけは誰にも予測出来ません。
それなら今回の再発では私は死なないで済みそうですが、今元気なあの人々といえども、今の一瞬は生き延びられている
だけで次の一瞬は生きられるのか、或いは死が訪れるかは全く解らない筈です。
だとすれば健康な人も病人も・・・・老若男女・・・・全ての人に極めて公平な確率で死の一瞬は訪れるのではないか、と
思ったら大変気楽になってしまいました。
・・・・・人間は平等でさえあれば、多少の苦労や悩みには耐えられる生き物のようです・・・・・
病院によって食事内容や御茶が全く違うことが二度の入院で解りました。
始めての入院だった〇赤病院は大病院ですが食事は個人の好みもありますがかなり酷いものでした、
毎日二食は必ず玉ねぎの甘ったるい煮付けが出ます、これが又甘いだけでどうにもならない味で、内緒
で持ち込んでいる塩や醤油ではどうしても味直しができませんでした。
更に毎朝研修中の看護師さんが大きな薬缶で一杯だけ注いで呉れる御茶のスザマシサは本当にどう
我慢しても飲めませんでした、只の白湯なら飲めるのに茶葉が入ったために飲めなくなる代物でした。
仕方がないので自家製の味噌を持ち込んで一個月間毎食味噌だけのおかずで済ましていました。
がん再発で二度目に入った病院は三食すごくおいしくてこんなにも違うものおかと、驚いたもので
す、それに御茶はセルフサービスでしたが素晴らしい緑茶でこれまたビックリしたものです。
一日一食でいいから院長さん!ご自分の病院のお食事を試されたら・・・とツクヅク思いました。
直腸がんの手術では転移のないように腹腔内を「カクセイ?」するのだとか聞かされました。
手術数日前に手術したら勃起不全になるのでは・・・・と思って担当医に聞きましたら平然と「そうです」
と告げられた時はかなり狼狽しました。
しかし直腸下端に出来ている腫瘍は既に出血しており、そのための貧血で立ちくらみが酷い状態ですからどうにもならず手術を受けたのですがその後成程勃起不能になってしまいました。
今迄勃起しない心配なんてしたこともなかった私には相当なショックでした。
でも現実は受け入れざるを得ず、苦難の日々が始まりました。
退院ひと月後くらいから体力もだんだん回復仕事も始められましたが全然ペニスに力が入りません。
排尿を止める筋肉(PC筋?)に一生懸命力をいれようとするのですが全く伝わらないのが解ったときは流石に愕然としました。
でもこれが出来るようになるのが第一歩と考え毎日ペニスをピクピクさせる練習を続けたところ半年位で弱いながらピクつかせるのに成功しました。
漸くペニスをピクピクさせることには成功しましたが依然勃起はしません。
掛かり付けの医院の先生に恥を忍んでバイアグラの処方を依頼した試してみましたが25ミリでは全然効果なしなので50ミリにしてみたところ弱い勃起が得られました。
しかしまだ以前のように安心して性交できる勃起ではありませんので体力の回復と精力の回復のため毎日一時間の歩行を始めてみましたが、足はすぐに強くなったのですが肝心の中足はまだまだのようです。